温泉新選組 > 日本の城郭
温泉サイトなのにナゼお城???
ほとんど関連性ゼロであるが、どうか堪忍してくださいまし。
このページが存在する理由はただひとつ。「ワシはお城が好きなんじゃ~!」 (大仁田か! しかも古いわっ!!)
なんて理由はさておき…
温泉めぐりの途中に、ふらり立ち寄ったお城を紹介しましょ! という温泉マニア兼「城ヲタと城ガール」のための寄り道ページなのだ!
ではおのおの、抜かりなく!
城は江戸時代、幕藩体制における政務の中心であると同時に、藩主の権威を示す象徴・シンボルであった。しかし明治維新により幕藩体制が崩壊。廃藩置県が行われると城の運命も大きく変わった。
建物を維持擦るためには維持費がかかる。藩が消滅すると城郭の存在意義そのものがなくなる。結果、多くの城郭が破却された。
保存運動などで破却を逃れた城郭もあったが、熊本城は西南戦争(1877)、名古屋城・水戸城・和歌山城・岡山城・広島城などは太平洋戦争の空襲(1945)によって焼失した。
現在、石垣や土塁など遺構が残る城郭は多いが、明治維新前の本丸天守が現存する城郭は驚くほど少ない。
弘前城(青森県)、松本城(長野県)、丸岡城(福井県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、松山城(岡山県)、松江城(島根県)、丸亀城(香川県)、松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、高知城(高知県)の12城が本物の「現存天守」が遺る城郭、正真正銘「本物の城」である。
上記12城以外の城郭に建つ天守は「復元天守*」や「復興天守*」、また「模擬天守*」であり、多くはコンクリート造の歴史資料館などになっている。
ちなみに、すべての城郭に天守があったわけではない。富山城や米沢城、また大政奉還の舞台となった京都の二条城や、名実共に徳川の時代が終焉した函館の五稜郭は当初から天守のない城郭である。
ちなみに×ちなみに、今日の「天守」と呼ばれる五層以上の建築物が最初に築かれたのは織田信長の「安土城」であるという。
当時は「天守」でなく「天主」という呼び名がいかにも信長らしい。その「天主」をさらに発展させたのが豊臣秀吉である。
信長・秀吉は「天主」で生活をしたが、江戸時代には「天守」は主に物置として利用され、藩主の生活スペースは他に建てられた御殿(本丸御殿等)などにあり、天下人の住居から権力者の象徴そのものへと変化をしたといえる。
「復元天守*」
当時の図面・文書・遺構などに基づいて復元された天守のこと。材料や工法までも忠実に再現した「木造復元天守」とコンクリート造の「外観復元天守」に分けられる。
「復興天守*」
かつて天守があったが、資料不足などにより推定の部分を残したまま再建された天守のこと。
「模擬天守*」
天守が存在しなかったり、不明であるが建てられた天守のこと。また史実に基づかずに再建された天守も含む。
ページを公開しているのは上記のみだが、実際に行ったことのある城郭はもっとある。白石城は画像があるので追々公開したいが、それ以外はちと難しい。
なぜ公開できないかというと…
公開したいけど写真がねぇ~ 記憶がねぇ~ 三十年前に行った城もあるからね…四国とか
ちなみに、行ったことのある城をあげると…
沼田城、名胡桃城、小田原城、岩殿城、金沢城、名古屋城、岐阜城、安土城、大坂城、花隈城、姫路城、大洲城、西条陣屋、今治城、松山城、宇和島城、高知城、熊本城になる。
なんやねん! お蔵入りの方が多いやんけ!!