世田谷城は室町時代に吉良氏が築いた平山城。三方を川に囲まれた要害として、北条氏の関東支配の拠点となっていたが、豊臣秀吉の小田原征伐で廃城。現在は南東廓の一部が世田谷城址公園として整備されている。
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東京には江戸城以外にも城がある。正確にはあった…というべきだろう。徳川家康の江戸入府以前、関東の覇者は北条氏だった。その北条氏の家臣吉良氏(奥州)の拠点であったのが世田谷城である。
世田谷城の歴史は吉良氏が、室町時代の応永年間(1394年 - 1426年)頃に居館を建てたことに始まる。その後、大地という地形を生かし平山城に改修されたが、現在の豪徳寺付近に本丸を置き、三方を烏山川が囲む天然の要害であったという。
しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏は滅亡。世田谷城も接収され、同年廃城。その後、江戸城改修に石材が利用されたという。
現在は南東端の廓が世田谷城址公園として整備され、土塁や空堀などの遺構をみることができる。ただこれらの遺構は公園と並行して整備されているので、厳密には当時の面影を残してはいない。
駐車場はないが、東急世田谷線宮の坂駅から徒歩5分とアクセスも良好なので、電車移動がおすすめ。また、かつての本丸跡にある豪徳寺は招き猫発祥の地という説があり、招猫観音を祀る「招猫殿」がある。
ちなみに、前述の奥州吉良氏は忠臣蔵で有名な吉良上野介(三河吉良氏)の一族。江戸時代には蒔田姓を名乗っていたが、三河吉良氏が赤穂浪士討ち入り後に断絶したため、吉良姓に復姓している。
(2016.10 更新)
住所 | 東京都世田谷区豪徳寺2-14 | TEL | 03-5431-1822 [北沢公園管理事務所] |
URL | http://www.city.setagaya.lg.jp/shisetsu/ 1217/1271/d00014476.html/ 世田谷区公式ホームページ |
開館時間 | 24時間 |
駐車場 | なし | 定休日 | なし |