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雪国の宿高半は創業900年、湯沢温泉の開湯以来湧き出る「湯元」源泉を引く数少ない宿。ノーベル賞作家川端康成が小説「雪国」の執筆のため、昭和9年から昭和12年まで逗留したゆかりの宿としても有名。
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雪深い一月下旬のとある日、この日は上越国際スキー場にいた。時間はまだ午後三時前だが、急ぎスキー場を後にする。まだ二時間ほどは滑ることができるが、温泉宿に泊まる時はいつもこのように撤収が早い。
理由は明白。チェックインできる午後三時までに宿に到着するため。時間の許す限り温泉に入りたい。いい温泉のある宿を予約できた時は、できるだけ早くチェックインすることを最優先しているのだ。
この日の宿は「雪国の宿 高半」。平安時代末期、湯沢温泉を発見した「高橋半左衛門」から脈々と続く老舗の温泉宿。そしてノーベル賞作家川端康成が昭和九年から十二年までの三年間長期滞留し小説「雪国」を執筆した宿でもある。
ちなみに代々の宿主は「高橋半左衛門」を世襲するそうだ。ちなみに酢で有名なミツカンも社長が「中埜又左エ門」を代々世襲している。家業として続く老舗らしいエピソードである。
上越国際スキー場から「高半」までは12kmほど。車を使えば30分もかからない。「高半」のすぐ近くにある共同浴場「山の湯」は幾度となく利用したことがあり、同じ湯元源泉を引くだけにお湯の特徴は知っていた。
でも「山の湯」は共同浴場らしくお湯は熱め。せいぜい三十分が限界とあって心底 「堪能した!」 とはいい難い。それだけに、思う存分温泉を楽しめることに、期待に胸を膨らませていた。
国道17号を右折し、ガーラ湯沢駅を右手に見ながら新幹線のガード下をくぐる。すると三叉路が見てきた。越後湯沢駅は左折するが、「高半」へは右折。坂道を登ると「御湯宿 中屋」が見え、そして目的地「雪国の宿 高半」に到着した。
ちなみに隣にある「中屋」と「高半」は親戚同士。江戸時代に兄が「高半」、弟が「中屋」として分家したという。だから同じ元湯源泉を引いている。「中屋」も利用してみたいがまた別の機会に譲るとしよう。
「高半」の外観は雪と同化するかのような白基調。鉄筋コンクリート造のわりと近代的な感じ。もっとレトロ(木造)なイメージを連想していたが、その予想は外れたようだ。
屋根から雪が落下して怪我をすることを防止するために、階段の屋根に近いところには工事用の赤コーンが置かれている。雰囲気は崩れるかもしれないが、これは必要な措置である。
エントランスはレトロ調のガラスの引き戸。こういうところは好きだなと感じつつ、中に入ると思っていたよりも広く空間に奥行きがある。左手には大きなエスカレーターと不思議な形をしたオブジェ(木の彫刻)がある。ちょっと気になったのでスタッフに聞いたところ、地元湯沢の芸術家の彫刻で、二科展で入賞した作品だそうだ。
ちなみに作品名は「負け将軍」。なぜ「負け将軍」かと尋ねたら、「将軍」として応募したが入選を果たせず、「負け将軍」と名前を変えて応募したところ見事入選を果たしたとのこと。でもどこが「負け」なんだろう? 芸術家のインスピレーションの凄さは凡人には到底理解できそうにない(苦笑)
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フロントでチェックイン後にラウンジに案内され、ウェルカムドリンクを飲みながら宿帳記入をする。このラウンジも少し変わっている。まるで展示室のように壁には作品名のついたいくつもの絵画が掛けられている。そうと思えばレトロな箪笥がいくつもある。和洋混在のちょっと不思議な空間である。
ちなみにロビーフロアは地階で、エスカレーターで上った上階が1階になる。建物は東館(昭和47年築・昭和63年改装)と南館(昭和63年築)に分かれている。ラウンジを後にして部屋に向かう途中、東館1階にあるパブリックスペースを案内してもらった。
このパブリックスペースはいろいろな施設が集約されている。多くの小説や冊子がある図書スペース、大浴場、湯あがり処、タイ式マッサージ、館をまたぎ南館にはシアタールームと朝食会場のコンベンションホールがある。
シアタールームでは1957年作の映画「雪国」が上映され、館内をよくみると、さりげなく絵画や陶芸に彫刻などの美術品が置かれている。「雪国」の舞台となった宿だけに、芸術的なエッセンスも垣間見え、小さな美術館や博物館のような雰囲気もある。
でもパブリックスペースの主役は川端康成をはじめ、ゆかりのある文豪たちの資料を収めた文学資料室と、川端康成が「雪国」を執筆した建て替え前の旧高半ホテルから移設した「かすみの間」。
スリッパを脱ぎ、「かすみの間」に入ると…そこには昭和があった。ひとくちに昭和といっても64年の歴史がある。私が知っている昭和は最後のたった18年間だけだが(年がバレるな…)、そこにある昭和は最初の10数年、戦前の昭和の香り。
いや正確には明治・大正・昭和初期の香りと表現した方が正解かもしれない。80年前、川端康成が「雪国」を書き上げた空間がそこにあった。文豪と同じ目線で部屋を見学できるとは感慨深い。
今回利用する部屋は東館にあるバス・トイレ付で広縁のある8帖和室。できるだけ予算を抑えるために高い南館を外したが、ひとりで使うにはもったいないほど充分な広さがある。細かな造作部分の経年変化はあるが、清掃は行き届きまずまずの印象である。窓を見れば雪化粧をまとった湯沢の街並みが見える。時代が違うにしても、あの川端康成も見下ろした光景なのかと思うといささか感慨深い。
お茶を飲み、お菓子を食べ終わると、そそくさと浴衣に着替え大浴場に向かう。風呂場に入った第一印象は「広い」のひとこと。整然と並ぶ洗い場は広く、サウナと水風呂もあるが、まだスペースに余裕がある。大小2つの湯船があるが、浴場スケールに比べ湯船のサイズが小さく見える。
実際のところ、決して小さくはないのだが、それだけ空間が広いということだろう。見れば時間が早いせいか利用者はまばら。宿には申し訳ないが、こんなに嬉しいことはない。
その前に身体と頭を洗う。身体を洗わなかったり(これはやめてほしい)、掛け湯をするだけで湯船に入る人もいるが、私は必ず洗うことにしている。できるだけ温泉を汚さないための習慣ともいえるし、洗うところを洗ってからゆっくり温泉を楽しみたい(美味しいものはとっておく)という気持ちの表れでもある。
いよいよ贅沢時間の始まり始まり~。まずは大きな湯船から…肩まで浸かると「ふぅ~」とため息がでる。お湯の感触は柔らかく温度は適温。息を吸うと仄かな硫黄の香りが鼻腔を抜けていく。
文句のつけようがない。湯口を見ると温泉がドバドバと注がれ、縁を見ると湯がオーバーフローをている。これぞ源泉かけ流しの動かぬ証拠。本当に素晴らしい。目を閉じればすぅ~っと心地よい脱力感に襲われる。幸せを噛みしめる時間。もう言葉はいらない。
続いて小さな湯船に入ると…ぬるい。どうやらぬる湯のようだ。ジャグジーがあったようだが今は動いていない。故障かなと思っていたら、その答えが湯口に貼ってあった。それによるとジャグジーを動かすと循環風呂とみなされ、塩素消毒が義務づけられるそうで、塩素使用を回避するためにあえてジャグジーを停止しているとのこと。
なるほど! お気に入りの別の源泉かけ流し宿(むろん塩素使用もなし)がジャグジーを稼働しなくなった理由がようやく分かった!
それはさておき…
ぬる湯の体感温度は37~38℃ほどだろうか。注湯量を絞っているためか少し硫黄の香りが弱い。適温とはいえ入り浸りの長湯はできないが、やはり大きな湯船の方がより温泉を味わえるとばかり温泉三昧を堪能。
そして湯上がり後は脱衣所にある冷たい温泉水をグッと一杯…いや数杯。本当は飲泉には許容範囲があって、あまり沢山の摂取は厳禁なのだが、まぁ個人責任の範囲内で大目にみてくんなまし。
そして浴衣に着替え、湯あがり処で冷えた麦茶をぐいっと数杯。これもまた美味し。温泉水だけではどうしても足りない。飲み物を買えばいいのだろうが、節約節約。
夕食まではまだ少し時間があるので、文学資料室を見て回り、「かすみの間」を再度見学。以前は外からの見学だけだったらしいが、今は部屋の中まで入ることができるからちょっと嬉しい。
温泉宿での温泉以外の楽しみといえば料理。夕食の創作会席料理は2階にある食事処 「料亭 松坂」でいただくが、料亭といってもガチガチのお座敷料亭ではない。仄かな明かりが灯りイステーブルのある和モダンスタイルになっている。
席に座り、テーブルを見ると料理はまだほとんどない。どうぞご開帳~とばかりに始めから用意されているのではなく、温かいものは温かく、冷たいものは冷たくというように、順次運ばれてくる心配りが嬉しい。
飲み物や追加料理メニューかな? とふとテーブルにあるファイルを見ると…確かにそれらは書いてあるが、料理に対する調理姿勢や食材・調味料など素材に関しての細かな情報が綴ってある。
いままで野菜や肉などメインの食材に関して情報公開する宿はあったが、醤油・味噌・酒・味醂・削り節・塩・砂糖などの調味料まで事細かに情報公開する宿を初めて知った。素晴らしすぎる。以前、食品関係の仕事をしていただけに、ここまでの配慮には思わず感嘆してしまう。
料理の情報公開。簡単そうで実は簡単ではない。食品や外食業界に身を置いたことのある人ならばその難しさを知っている。調達の継続性・原価率・調理の手間暇などを考慮すると、どうしても汎用品や加工品に頼ってしまうことがあり、料理が一般的な献立になることがある。利用者目線でいえば、そのような料理ならば普段接する料理と根本的にあまり大差がない。魅力的に映らないのである。
でも厳選した素材を伝統の調理法を用いて調理し、それを正しく情報発信するなら…この料理は「安心・安全」 である。堂々と胸を張ってアピールできる。カスタマー(お客をあえてカスタマーといいたい)も料理に思いをめぐらせ、もともとの料理の味よりももっと美味しく感じるに違いない。これはもう普通の料理とは明らかに一線を画しているといえよう。
とまぁ…少々能書きが長くなってしまったが、それほどの衝撃であったことは事実。感心しつつ料理を口に運んだ。いくつかあった献立の中で一番美味かったのは実は味噌汁。たかが味噌汁されど味噌汁なのだ。
何が感激したかというとその濃厚な出汁の旨さ。分量が少ないことが残念だったが(しっかりと二杯目のおかわりをしたが)まるでエスプレッソのような余韻の残る一品だった。
夕食後、小休憩してからまた風呂へと向かう。温泉がそこにある。好きなときに温泉に歩いて行ける。こんな幸せなことはない。これぞ温泉宿の醍醐味。まさに宿泊者の特権。寝る前、そして起床後も飽きることなく、至極の単純硫黄泉を身体に染み込ませた。
でも温泉は思っている以上に体力を浪費する。昨日あんなに食べたのに腹はペコペコ。朝食の時間が待ちきれない。すぐにスキー場へ出発できるようにウェアに着替えて朝食会場に向かう。
朝食はブッフェスタイルのバイキング。ホテルのように品目は多くはないが、ほのぼのとする品々がテーブルに並んでいる。一目で、これは自慢のお米(南魚沼産コシヒカリ)をいかに美味しく食べるかに力点を置いたメニューだなと直感する。
スキー汁(豚汁)・とろろ・自家製漬物。それだけで御飯が何杯もいけてしまいそう。中でも「そばの実なめこ」が御飯との相性バッチリ。抜群に美味い。ウェアのウェストの限界まで米を詰め込んだ。ふぃ~スノーボード大丈夫かね…
部屋に戻り、身支度を調え、名残惜しいがチェックアウト。お勘定をすすと、「午後五時までにフロントに来れば温泉入浴ができます」とのこと。
なぬ~! これははずせないっ
帰りは「山の湯」に行こうと考えていたのでこれこそ渡りに船。この日、舞子スキー場を午後四時に切り上げ、「高半」を再び訪れたことはいうまでもない。
利用後に感じたことだが、確かに洗練された現代的な宿ではなく、期待していた老舗のイメージ(木造やノスタルジックな雰囲気)とも少し違うことも否定できない。
上越新幹線の開業によって湯沢温泉全体がレジャー化の波に押され、ひと昔前、いわゆる多くの温泉宿が肥大化し近代化した時代(昭和40年台~60年台)の団体宿の名残もあることも事実だろう。
でもその箱(ハード)の中で、温泉のクオリティを固く守り、料理のクオリティを向上させてもなお、ここまでリーズナブルな料金設定に抑えていることに敬意を表したい。
それにしても、あの味噌汁旨かったなぁ…最後はそれですかいっ!!
(2015.8 更新)
住所 | 新潟県南魚沼郡湯沢町湯沢923 | TEL | 025-784-3333 |
URL | http://www.takahan.co.jp | IN:OUT | 15:00 : 10:00 |
宿泊料金 | 10,500円~ [2名利用 1泊2食付] | 立寄入浴 | 13:00~17:00 [1,000円] |
客室数 | 和室 46 | 食事場所 | 夕:食事処 / 朝:会食場 |
駐車場 | あり | 定休日 | - |
主な泉質 | 単純硫黄泉 | 温泉利用 | 源泉100%かけ流し(露天は冬季循環加温あり) |
浴場設備 | 大浴場・露天風呂(女性のみ) | 塩素消毒 | 塩素消毒なし |