江戸時代初期、山形は最上氏57万石の城下町。山形城は別名霞城(かじょう)とも呼ばれ、平城ながら本丸・二の丸・三の丸と三重の堀をめぐらした大規模な城郭だった。
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最上氏最大の版土を築いた最上義光は、関ヶ原合戦時において東軍に属し、山形に侵攻してきた上杉家の武将・直江兼続と戦い上杉勢を撃退。その功により最上氏は戦後24万石から57万石に加増されるが、表高57万石ながら、実高は100万石を超えていたとされる。
整備された城は天守は築かれなかったが、本丸に御殿、二の丸には御三階櫓が設けられ、57万石の太守の居城として充分な威容を誇った。
しかし義光の死後、お家騒動がもとで最上氏は1622年に改易。最終的には五千石の交代寄合(旗本)にまで没落。
その後、明治維新を迎えるまで鳥居氏(24万石)・保科氏(20万石)・松平氏(15万石)・堀田氏(10万石)・秋元氏(6万石)・水野氏(5万石)など13度も藩主が変遷。明治維新後には堀は埋められ、城の建物は破却された。
現在、二の丸が霞城公園として整備され、二の丸東大手門・本丸一文字門・本丸大手門枡形内の高麗門及び土塀が復元されている。二の丸内には上杉軍へ出陣する最上義光の銅像が建てられ、往時の最上氏を偲ばせる。
(2015.11 更新)
住所 | 山形県山形市霞城町1-1 | TEL | 023-641-1212 (山形市公園緑地課) |
URL | http://kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin /search/search.cgi?panel=detail&d01=877 [山形市観光協会] |
開放時間 | 24時間 ※東大手門の開門時間 5:00~22:00 |
駐車場 | あり | 定休日 | なし |